ラ・モントルの手記

自由に、繋いで、美化しよう!

推しの顔に金箔を塗る

お久しぶりです、こんばんは。このブログを更新した最終日が2016年…つまりまるっと2年間放置していたことになる。全く追っていなかったといえば嘘になるが、何の番組に出てどんなアルバムを出したとか、肝心なことは殆ど知らない。EXOから離れてずいぶん経った。変わらないもの。変わってしまったもの。私はまた、ファンに戻れるだろうか。どうかな、レイさん。

 

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「自分らしさって何だろうって、考えれば考えるほどわからなくなって、気付いたら家と職場を往復するだけの毎日だった」

春はあけぼの。ぽかぽかした天気が眠気を誘う土曜日の午後1時。フォトジェニックの集合体のようなキラキラしたカフェの隅っこに、私と友人は向かい合って座っていた。鬱になりかけて約4年勤めた会社を退職したという彼女は同窓会ぶりに会った私を見るなり「あんたも変わったね」と言った。

限られた時間の中で彼女の話を"聞く"というよりは"受け止める"ことが出来るように、その話の内容がどんなに理不尽であっても、どんなに屈辱的なことであっても、私は口を挟まず頷き続けると決めていた。上司のこと、後輩のこと、家族のこと。「自分が元々どんな人間だったのかわからなくなった、周りとどう接していたかも思い出せなくなった、ただ辛かった」寂しそうに彼女はそう呟いた。クリームソーダのアイスはもう緑の海に沈んでいた。

ありえない高さの生クリームが乗ったパンケーキを切り分けながら話は続く。彼女は趣味に時間が割けなくなったことを嘆いていた。私たちは元々根っからのオタク体質で、何かに依存して何かに励まされて生きてきたタイプの人間だった。だから彼女の話す「辛さ」は私にも当てはまる。私が考えている言葉を彼女が代弁してくれている、正直怖いとさえ思った。お互い学生時代からバイトのお給料は全部そっちに注ぎ込んでいたし、二人でコンサートにも沢山行った。後悔なんか全くしていなかった。むしろ社会人になったら「自由に使える金が増える!」といった能天気さを持ち合わせているくらいだった。だけど、現実はそう甘くはなかった。

私自身もこのブログを更新していなかった2年間、仕事が忙しくて自分の趣味を忘れてしまうレベルまで達していた。「趣味を忘れる」ってそれじゃあ元々趣味でもなんでもないじゃん、と思う方もいるだろう。実を言うと私もそっち側の人間だった。自分のしたいこと、好きなことが趣味だと。それがあるから頑張れる。それがあるから生きていける。現実離れしているもの、癒しとして特別に考えているもの。もちろん自分の仕事に沿ったものもあるだろう。人それぞれの定義がある「趣味」。

入社して数ヶ月、ようやく慣れた頃に大きな案件を任されることになった。寝る間も惜しんで資料作りに励んだ。やり甲斐のある仕事だと本気でそう思えた。上司に何度も頭を下げた。取引先に何度も足を運んだ。人生の中で今が一番イキイキしていると、自分ではそう思っていた。上ばかり見て歩いていた。好機を掴めるように、困難は避けれるように。だから落としたものに気付けなかった。大切なものはしっかり抱えてきたはずなのに。どうしてだろう。いつしか私の中から「趣味」が消えていた。

 

「好きなことにも、体力って使うんだな」

凄いことを知った。世紀の大発見だった。この会社に入るまで私はそんなこと知らなかった。考えてさえいなかった。ある種の気合いとか、情熱とか、そういったものはこの土俵の上では完全に無力だった。

 

私は幸運なことに今から約2ヶ月前に同じ系列の会社に移ったため、以前よりは時間に余裕が持てるようになっていた。いっときの間でも「自分」を失った私だからこそ彼女の話をしっかり聞いてあげられると思ったし、彼女にもかつてのような自分らしさを取り戻してほしかった。

私がこの数年で学んだのは趣味は単なる「好き」という気持ちだけで形成されるものではないということ。私のようなオタクは推しを応援することに最も時間を使うし、もちろんお金もかかる。切羽詰まった人間は趣味なんかなくなって生きていける。実際、私はそうだった。だけど、生きていけるけど、中身が空洞じゃいつかきっと潰れてしまう。自分を守るために。自分が好きな自分でいるために。毎日が晴れの日じゃない。突然の大雨、まさかの崖っぷち、どこから出てきた砂地獄。趣味はきっとそんな日々を懸命に生きる人にとっての「寄り道」。私はそう思うようになった。

社会では八つ当たりされたり、責任を押し付けられたり、いろんなことがある。だけど道はひとつじゃない。真っ直ぐ歩き続けようとするから辛くなる。360度を見ようとする余裕が大切なんだと。マラソンのコースみたいに、上り坂と下り坂が初めからわかっているわけじゃないから、どこでペースを早めたり遅くしたりすれば良いのかわからない。努力、勘、運。そして才能。人生の中で成功する要素と言われているそれらに「余裕」をプラスすること。それが頭にあるだけでだいぶ違う。

私は今の職場に変わってから、以前と同じようにアイドルにキャーキャー言う楽しい日々を過ごしている。公式サイトや動画配信アプリを見るたび、どうして2年間これを断つことができたのかと不思議でならない。頑張ろう、という強い気持ちは時にプレッシャーになって自分を縛り付けてしまう。肩の力を抜いて常にいろんな方向を見据えることのできる人、そういう人になりたいと強く思う。

今日は私が払うと伝票を持ち席を立った彼女は「○○は流石だと思う、やっぱりオタクの気持ちはオタクにしかわからない」という名言を残していった。これからしばらくは有給消化でのんびりするという。会計が終わって店を出るなり次はこの店ね、と彼女が見せたスマホの画面。「行きたいところリスト」なるものが並んでいた。夜景の見えるイタリアンディナー。次はあんたの奢りね、そんな魂胆だろうと思った、と私たちは笑いながら腕を組んで歩いた。私と彼女に「次」があるということ。ホッとした。何故だかとても泣きたくなった。

 

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私の最推しはEXOというグループに所属しており、名をLAY(本名:チャンイーシン)という。中国の長沙出身で、10月生まれのA型。彼の性格について簡単に説明すると、ザ・努力家で超ストイック。誰もが認める"真面目"な人間だ。メインダンサーを努め作詞や作曲を自ら行う一方、時々4次元へ出かけては妖精さんと会話するという不思議ちゃんな一面も持っており、場を和ませる天才とも言える。仕事に関しては最もナンバーワンへの意識が高く、コメントや雑誌のインタビューではその意思の強さを垣間見ることができる。まあそういう人である。

彼は現在、個人事務所の仕事をメインで行なっており、主に中国での活動に精を入れている。韓国の事務所に所属している外国人アイドルが専属契約を結び個人事務所を立ち上げるなどといったことは過去に例がなく、それを見事にやってのけたレイさんは当時大きく報道された。

こちら参照どうぞ↓

https://youtu.be/tqAGQ_UP9VA

 

このEXOというグループは当初8(韓国):4(中国)の12人グループとしてデビューしたが、今現在は8(韓国):1(中国)の9人で活動を行っている。中国組の3人は脱退、いずれも訴訟問題に発展しているため中国人であるレイさんがその後を追うのも時間の問題だと世間から揶揄される声は以前から多くあった。ところがどっこい、現在も彼はEXOのLAYとしてグループの一端を担っている。だが個人事務所がとってきた仕事が優先されているため所謂「籍だけ置いてます」状態であることには違いなく、なんと母国の中国を拠点として単独でバリバリ任務をこなしているのだ。夏のカムバは不参加が決定し、日本で冬に発売が決まったグループとしての初のアルバムも、そのパッケージに彼の姿を見ることはできなかった。私は過去のツイッターやインスタ、様々なSNSを駆使してレイさんを探してみたがやはり"EXOのLAY"はどこにもいなかった。

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そんな彼が今年の1月17日に中国版ツイッター、WEIBOで投稿した文がとても素晴らしかったのでちょっと紹介させてほしい。中→英→日のため意訳有りですがご了承ください。

(以下全文)

「2012年のチャンイーシン、こんにちは

 僕は2018年のチャンイーシンです

今日は君にとって特別な日だね  ちゃんと覚えてるよ

17歳の時に思い描いていた夢、あの夢を叶えるのは簡単じゃない

だけど暗闇の中で必至に努力して、汗にまみれて迎えた朝  あれらは全て無駄じゃなかったよ

君は幸運だ

焦り、憂鬱、恐れ、挫折、不安

あの頃、僕は自分を疑ってた

 

今、その気持ちはどこかに消えちゃった

僕は変わったよね そうでしょ

あの頃の僕は一日一日を無駄にしまいと必死だった

 時が経つのは早かった  6年だよ

ねえ、今の僕は努力は報われるって信じてるんだ

努力すれば運も味方になってくれるって

だけどあの頃、僕は自分を疑ってた

 

今、そこにいる君は自分が想像したよりも強くなくちゃいけない

君はいつも一人でいるね

親切な人は報われると信じて

いつも良い人でいたいと思ってる

その心が本当の友人や兄弟を生むと信じて

だけどあの頃、僕は自分を疑ってた

 

今、その素敵な友人や兄弟が増えて僕は欲張りになったね

自分の音楽を聴いてほしいと

自分の考えや想いを世界中に届けたいと

だけどあの頃、僕は自分を疑ってたんだ

 

今、海外のチャートで僕の歌は評価されてる

びっくりするでしょ

君は天がどれほど高いか、海がどれほど深いかを知らない

まだ浅はかな君は、自分を好きでいてくれる人たちを大切にするんだと

そしてその人たちを失望させないようにするとそう言っているけれど

実際、そんなのできやしないんだ

 

だけど今、わかったことがある

君は応援してくれる人のために、努力し続けなきゃいけないんだって

4年頃またこうやって手紙を書くかどうか楽しみだな

 

君はいつも憧れや夢について話しているね 

そうしてひとつずつ目標を掲げていくけど、

やっぱりまだ僕は君がそれを成し遂げることができるのかどうか不安に思ってるよ

 

でも願わくば、叶えてほしいんだ

君ならきっとやってくれる

10番を背負った少年よ

その強い気持ちを胸に、君は前へと進まなきゃいけない

君がどんな素晴らしいものを見せてくれるのか

僕はこれからもずっと楽しみにしてるよ

 

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(10はレイさんの背番号。メンバーは皆それぞれ好きな数字を選んでつけています)

 

グループとしてのデビューは2012年の4月8日だが、EXOはその日までのカウントダウンとして2011年の12月23日から"100日間プロモーション"を行った。小分けにして投稿されたその動画はティーザーと呼ばれ、レイさんは2012年の1月17日にそのティーザーで私たちファンへの初お目見えとなったため、この日を彼のデビュー日として祝うファンは多い。

その記念すべき6年後、2018年1月17日の投稿。レイさんの「想い」が見えた気がした。個人事務所を立ち上げた当初は「EXOのメンバーとしての活動も頑張る、個人での活動も頑張る」という感じだったが、やはり出来ることと出来ないことがある。EXOにいない期間が1年のうち大半を占めていること、そのため脱退が囁かれていること、これらはもはや変えようがない事実なのである。だからこそレイさんにはどんなスタンスでこれからやっていくのかをきちんと示してほしいし、私たちファンにそれを伝えることを諦めないでほしい。

彼は「努力」という言葉をよく使う。テストで良い点を取るために毎日決まった時間勉強をする、売り上げを伸ばすために集計をつけてみる。同じ目標を持っていても努力の仕方は様々だし、人によってその度合いも違う。日頃どんな努力をしてますかと尋ねられたとき具体的にこれだとパッと提示できる人もいれば、ぼんやりとしたイメージしか浮かばないという人もいる。比べることはできない。比べる必要はない。見える努力と、見えない努力がある。正解はわからない。だけど、きっとレイさんにとっての努力は「自分を疑わないこと」だと私はそう思っている。

 

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この投稿に何度も繰り返し出てくる「あの頃、僕は自分を疑った」。不安を押し殺し、自分を信じようと必死に気持ちを奮い立たせること。弱さに負けないこと。それらが彼にとっての「努力」なのだと思うと、やっぱりかっこいいなって誇らしくなった。そうだった。私はレイさんのこういうところを好きになったんだった。異国の地で言葉もわからず、人に馴染めず、文化も常識も何もかも違う場所でたった一人で頑張ってきた。もう十分、よくやったと思う。だけど敢えてこの日に投稿した。まだ自分は「EXO」なんだと。「EXOでいたい」と。それならばこちらも声を大にして言いたい。私たちファンもレイさんには「EXOでいてほしい」と。

 

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デビュー当時10代だった末っ子達はもうすぐアラサーを迎える。年長組はそろそろ兵役が迫っている。いつまで一緒にいれるかはわからない。だけど、帰る場所がある。理解してくれる兄弟がいる。また9人でステージに立てるように。隣の国から祈ってます。最大限の愛をこめて^^  엑소,사랑하자!!!!!!!!!!