ラ・モントルの手記

自由に、繋いで、美化しよう!

先日のMAMAを振り返ってみる

拝啓、エクソが好きな皆様へ
 
この時期にこうして書くことといえば一つしかなくて、しばらくは他のファンと同様私もこの感動から離れることができないかもしれない。それはまた私たちに強烈な爪痕を残していった。そうです。本日のお題は2日(水曜)に無事閉幕した
MAMA「MnetAsianMusicAwards」について、です。
 
エクソはなんと今年のアルバム賞、ベストグループ賞、グローバルファンチョイス賞、ベストアジアンスタイル賞の計4冠を手にし、今年のアルバム賞に至っては3年連続での受賞という快挙を成し遂げた。後半の2つは何をもってしてそうなのか、そもそも受賞名目の意味自体がよくわからないけれど、全てのグループの頂点に立ったということを喜ばずしてどうしよう。何でも「一番」は嬉しいものである。
 
 
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整理しよう!〜EXOのMAMAにおける受賞歴〜
2012年(11月30日開催)
・ニューアジアアーティストグループ賞
 
2013年 (11月22日開催)
今年のアルバム賞
 
2014年(12月3日開催)
今年の歌手賞
今年のアルバム賞
・ベストグループ賞
・ベストアジアンスタイル賞
 
2015年(12月2日開催)
今年のアルバム賞
・ベストグループ賞
・グローバルファンチョイス賞
・ベストアジアンスタイル賞
 
 
ちなみに大賞と呼ばれるのは赤文字を含めた「今年の歌手賞」「今年のアルバム賞」そして「今年の歌賞」の3つ。これを授与されるというのはとても名誉なことで、以前の受賞者にはBIGBANG、東方神起、SuperJunior、2PMなど錚々たるグループが名を連ねている。東方神起が「今年のアルバム賞」を受賞した2008年の『呪文〜mirotic〜』により日本のファンにも広く浸透し、親しまれるようになったこのイベント。以前はMKMFと呼ばれていました。2009年から主催者側のMnetが「対象地域の拡大と更なる音楽文化の発展」を謳い名称をMAMAに変更したことは記憶に新しい。(都市伝説で東方神起の分裂が影響しているというのがありました)
 
 
それに伴い、スケジュールの関係でどうしても当日までに人数を揃えることができないSM勢 < ノミネートされたからには何としてでも全員で出席するYG勢、といったような具合で、楽しみにしていたファンをがっかりさせてしまうグループ、はたまたその一方で最高のステージを見せてくれるグループと二分されるようになってしまった。「出席するかしないか」は確実ではないが、ある程度ファンの中で予想がつくようになったため、チケットを求める層にバラツキが生まれた。しかしながら当然、事前に来ないことを想定してスケジュールを組むこと、ステージの構成、そしてノミネート選出方法等に疑問を抱く声は多く寄せられた。だがそれも今はMAMAの醍醐味として受け入れられてしまっている。実際今年もエクソ含めSM軍団は完全にアウェイ状態だった、と聞いた。私は一昨年に香港まで行って実際にこの目で見てきたけれど、エクソ絶頂期!と言われていたその頃でさえもBIGBANGの単独コンサートかと錯覚してしまうくらい、会場が彼らのグループカラーの黄色で埋め尽くされていた。季節感度外視で眼下に広がるのは一面の菜の花畑である。もうここまできたら楽しむより他ないと開き直って私もブンシャカラカと叫んでいた。が、そこにある全ては私が想像していたよりも遥かに上を行っていた。流石大御所である。元々ビッペンだったのもあり、初めて生で聞くファンタスティックベイベーにひどく感動してテンションが訳のわからないことになってしまった私は彼らのそれと勘違いして、公演5日後に誕生日を迎えるチャニョルのため会場前で配られていた「チャニョラ、センイルチュッカヘ」バナーをあろうことか天下のジードラゴン様へ向けて堂々と掲げ続けるという失態を犯してしまった。
 
(略)
 
…とまあ私のようにSM以外のグループも好きならばともかく、エクソだけ!シャイニーだけ!という人にしてはもしかするとこのMAMAというのは天国と地獄の二面を持ち合わせているイベントなのかもしれない。実際、面白いか面白くないかはその年によって大分差が出てくる。行ってみなければわからない。100%推しが出演するとは言い切れない。海外ファンからすると残念でしたの場合一気に数万円が飛んでいくトンデモない博打である。だがアウェイであることを最大限考慮しても、今年は本当に酷かった。まずは彼らのヴィジュアルで検証してみることにする。この際人数の増えた減ったは無視してほしい。私は今現在いない子達をスタンプで抹消するなどそんな心無いことはとてもじゃないができない。
 
 
衣装で振り返る、EXOのMAMA〜超手抜き案件〜
 
2012年、レッドカーペット (白スーツ)
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2013年、レッドカーペット (黒スーツ)
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2014年、お披露目ロード (白のレースジャケット+黒のパンツ)
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今年、レッドカーペット (…は?)

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全員揃えばラインが同じなので(贔屓目に見て)後からじわじわやってくるコレジャナイ感はまだ抑えられているように思えるが、個々で登場されると
「エクソ、アウトー!」
誰がどこからどう見ても完っ全に私服である。
 
また衣装もさることながら本人達のモチベーション、これが前年や前々年の比じゃなかった。レイさんは気を抜くとすぐにでも異世界にダイビングしてしまいそうな顔でげっそりしていたし、常100%で生きている愛くるしいベッキョンも何故かしゅん、としていて最後まであのとびきりキュートなスマイルが出ることはなかった。カイちゃんは寝落ちしてしまいそうになるのを必死に堪えていて、チェンが何度も「眠い?大丈夫?」と声をかけてあげている場面に遭遇した。そして末っ子のセフンに至っては4度目の出席ということもあってか完全に油断しており、なんとパフォーマンス中のBIGBANG(スンリ)先輩から膝の上にどっかり乗っかられるというハプニングが起きた。
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正面の映像は「うわあ///」と照れているように見えたが、ファンが撮影したその真後ろからの写真には隣に座っていたチャニョルの服の裾を引っ張り「たすけて」とSOSを送っている可愛い末っ子の腕が写っていた。これには笑った。
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…こほん(咳払い)。この勢いだと大好きなはずのイベントを貶しっぱで終わってしまう気がするので、ここから先は推しであるレイさんに焦点を当てて掘り下げてみようと思う。彼らがMAMAに初めて出場したのは2012年。エクソ号はまだ離陸に向けて滑走路をひた走っていた時期で、それこそ大賞には手が届かずとも新人賞にはばっちりノミネートされていた。この時は何故か本人達以上にファンの方がドキドキしていて、皆が必死の形相で発表の瞬間を迎えたことを覚えている。結局、デビューした年にしか貰えない一生で一度の「新人賞」はその場にいなかった人達がもぎ取って行き、エクソは喜んで良いものかよくわからない賞を受賞するに至った。けれどもこの新人賞を逃したことは結果的に彼らの結束を固めて良い土台が作られる素となったので、寧ろこれで良かったのではないかと私は思っている。
 
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エクソはここからの逆転劇が将来歴史の教科書に載ってくるレベルで凄まじい。SMが社の命運をかけて取り組んだ一大プロジェクトは、まだほんの序章に過ぎなかった。
 
2013年。Growlが大ヒットし、韓国の音楽チャートを総ナメにしたエクソは今や時の人となっていた。デビュー直後にファンになった私はその見事な成長っぷりをずっと画面越しに追ってきたが、1年でこれほどまでに大きくなったアイドルを他に知らない。一歩外に出れば警備が付き、コンビニもまともに行けない。空港は毎回年始のバーゲンセール状態でなかなか前に進めず、飛行機をやむなく遅らせたこともあった。過激なファンとのカーチェイスや心ない中傷、無言電話なんかも日常茶飯事。気が付けばプライベートが無くなっていた。休む暇なんかきっとほとんどなかった。それでもエクソはキラキラしていた。最近ファンになったばかりの新規さんには是非ともこの頃のレイさんを検索してみて欲しい。→131122 exo lay
今よりも表情が柔らかい、と言えば伝わるだろうか。
 
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この写真が撮られてから早くも2年という歳月が流れた。レイさんは年齢を重ねるにつれて良くも悪くもその「柔らかさ」が消えて行き、代わりに「覚悟」がふとした時の表情に滲み出るようになった。しっかりした顔つきになったと言えば聞こえは良いけれど、今日のレイさんは周りの人間に自分の腹の内をそう簡単には探らせず、また悟らせないような、なんだかよくわからない目をすることが多くなった。ずっと見てきたはずなのにそれでも読み取れない。もどかしかった。感情をコントロールするということに関しては間違いなく以前よりも器用になった気がする。根っこの部分がしっかりしている人なだけに、その性格が歳を追うごとに風貌へ映されていくのだろう。かの有名なCHANELの創業者、ココ・シャネルは生前にこんな言葉を残している。
20歳の顔は自然から与えられたもの、30歳の顔は普段の生活から作られたもの、50歳の顔は自分の功績によって生まれたもの
「自立した女性像」とされるシャネルの名言だけれど、これは男の人にも当てはまると私は思う。2013年はどの写真を見ても皆ホンモノの笑顔ばかりで、フォルダに収まり切らないくらいの良い瞬間がたくさん生まれていた。この時私は何も考えずにただ好きというだけで応援することができていた気がする。
 
だがこのMAMAからわずか半年後、デビューから順調に航路を取っていたエクソは初めて目的地を見失うことになる。長い長い滑走路を越えやっとのことで離陸、皆がこれからの空旅に胸を弾ませていた時だった。たった一人でドアを開け地上へ降り立ってしまったメンバーがいた。エンジンのトラブルか、はたまた外部からのミサイル攻撃か。突然の破裂音と爆風に残されたメンバーはどこから修復すべきかもわからず、必死に操縦桿を握ってなんとか機体を安定させることで精一杯だった。雨風が入り込んだ機内で吹き飛ばされないよう踏ん張ることは決して容易ではなかった。それなのに、ようやく暗雲を切り抜けたと思った数ヶ月後、また一人が去っていった。きっと止めることはできた。だけど皆は送り出した。そんな迷いと不安、全部を抱えて震えていたであろう彼と最後まで手を繋いでいたのは、他の誰でもないレイさんだった。「いつか共演できたらいいね」「上手くいくことを祈ってるよ」脱退確定という公表直後に投稿されたSNSにあったのは、長年苦楽を共にしてきた弟からの最後の激励だった。すったもんだで何度も墜落しかけたこの年。エクソはもう駄目かもしれないと囁かれていたことはきっと皆が知っている。その渦中で行われた2014年の集大成、それがMAMAだった。
 
2014年。エクソはこの年になんと初めて大賞と呼ばれる3つの賞のうち2つを同時に受賞した。しかも「今年のアルバム賞」に至っては2年連続という快挙だった。想定外のことばかりが起きて目標を見失いそうになりながらメンバーとファンが辿った道は、決して美しいと呼べるものではなかった。だけどそれでも皆が前へ進もうと努力したその証が、この賞であることには違いなかった。祈るように目を伏せているレイさんの写真がある。これはちょうど発表の直前に撮られたものだ。
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結果は上記の通り。この時ばかりは普段涙を見せないメンバーも感情を爆発させて、顔を覆い、嗚咽を抑えることができなかった。皆で抱き合って喜びを噛み締めた。「人に認められるということ」それがどれほど心強いものであるか。彼らはしっかりと感じていた。その授賞式で、レイさんが力強くこう語った。
 
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「僕たちを応援し、愛し、見守ってくれているファンの皆さんと、この賞を分かち合いたいです。誰もがきっと、僕たちの2014年は黒色だったと思っています。ですが今日から、この舞台から、EXOは新しいスタートを切ります。僕は信じています。2015年の色は美しいと」 

迷いのないスピーチだった。私が今まで見たことのなかった新しいレイさんがそこにいた。「堂々としていて良かった」「ああいう表情は初めて見る」「レイさん素敵」「かっこよかった」という呟きが多くあって、私と同じ気持ちのファンが沢山いるんだと知った。今見返すとやっぱりこの年が彼にとっての分岐点だったのだろうと思う。力強い眼差しで見つめていたのは何だったのか。皆が快晴へ向かうと信じていた。その言葉だけが道標だった。

 

だがその後、エクソ号は一度切り抜けた暗雲の中を再び突き進むことになる。以前よりもまた少し軽くなった機体は、少しの風で大きく左右に傾いた。毎日が不安定なまま時は刻一刻と過ぎていき、そしてこの季節がやってきた。去年と同様にタイミングは最悪、疲労困憊で作り笑顔を見せる気力もなかった。それでも彼らはしっかりとメンバー全員でレッドカーペットを歩き、もはや年度末の恒例行事と化したアジア最大級の音楽の祭典を待っていた。

 
結果、2015年も4部門での受賞に至ったけれど、やはり去年を超えることはできなかった。皆の目にはあの時と同じ程の感動はなかった。今年はまた一人減った。去っていったのは中国の子だった。初めは8:4、韓国:中国で始まった12人の旅はいつしか8:1の9人になっていた。「痛みには慣れた」そんな声が聞こえてきそうなくらい彼らはひどく冷静で、それが私には悲しかった。
 
今年のレイさんは盆と正月がいっぺんに来たようにせわしなくアジア各地を飛び回っていて、下手するとメンバーと会うことも月に数回という具合だった。そんな準備もままならない中で迎えてしまったMAMA。何度も立ち位置を間違えてしまい歯痒そうに唇を噛み締めているのを見ると、レイさんはもしかすると今年の自分を後悔しているのかもしれないとふと思った。春頃に個人事務所を設立し、活動の拠点は彼の母国である中国へと移る。その間他のメンバー達はというと各々に与えられた仕事を確実にこなしていく一方で、音楽番組やコンサートの時には「エクソ」という第二の家にきちんと戻ってきていた。中国人であるレイさんだけが、参加しない。参加できない。その事実はファンを苛立たせ、マスコミの恰好のネタとなった。それでも心無い記事で悪者へと仕立て上げられていくレイさんを必死に庇っていたのは、他でもないメンバーだった。「レイ兄の出演している映画、観てあげてください」「頑張ってね兄さん」「早く会いたい」だけどこんな声を聞く度に一番ホッとしていたのはきっとレイさんではなくて、私たちファンの方だったと思う。もうここまで来たらそれこそ近いうちに来るかもわからない終わりを見据えて覚悟の上でファンをやっている。だからこそ、その言葉は「まだ好きでいていいんだよ」と言われているみたいで、単純にとても嬉しかった。
 
 
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最後まで頭を下げていたレイさん。今年のスピーチの内容は、皆が知りたかった昨年の「答え」に違いなかった。
「ファンの皆さんが見せてくれた、色鮮やかな2015年に感謝します」
 
 
今年も去年に負けないくらいの不安定な空中遊泳だった。降ろしてくれと叫んだのは一人や二人じゃないかもしれない。だけどなんとかここまで来れた。なんとか持ちこたえられた。来年は今以上にとんでもないことが待ち受けているかもしれない。どうなるかわからない。こてんぱんに打ちのめされるかもしれない。ただ私は頑張るレイさんがどうしようもなく好きだ。泥沼の中でも必死にもがいて進もうとする。そんなレイさんが好きなのだ。
 
もう半月もすれば12月も終わる。今年のMAMAは過去最悪だったと言われている。だけど皆で取った賞は、大事にしてほしい。トロフィーは無機質な鉛の塊ではなく、「エクソ」を応援している皆の気持ちが詰まった世界にたったひとつだけのもの。目には見えずとも存在している愛という名の結晶である。それを貰うことに申し訳なさを感じるのではなく「皆見てくれ!ちゃんと受け取ったぞー!」くらいまで押し上げていってほしい。レイさんならきっとやれる。その場で耐えることが努力ならば、一歩踏み出すこともまた努力だ。ゴーゴーレイさん。ゴーゴーエクソ。2016年、良い年になりますように。
 
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